2014年 06月 08日
初めて泣いた夜 その2ナリ |
はい。で、思いのほかボリュームが出てしまいそうなオハナシの続きです。
……
その夏にオープン予定のシャトーブリアンの2号店のシェフに内定していたギョーム君はワーキングホリデーを利用して来日するついでに『なんかみてこい』と彼のボスに命じられてウチにやって来たのでした。
ボスの支持通りエスパスでは前述のグージェールやパテカンパーニュ、パテアンクルートといった僕らからすれば真にフランス的なお料理のルセットを持って帰ってくれました。
真にフランス的ではあるのですが、考えてみるとパリは別にして、ブルゴーニュ地方以外のレストランで、グージェールを
お出しすることは稀でしょうし、高級店のプレミアムなそれを除きテリーヌ類をメゾンで仕込むこともあまり無いことなのでしょう。
そもそもフランスでは下手くそな自家製パンやテリーヌを仕込まなくても、優れたブーランジェリーやシャルキュトリーがあって、そのどの店から仕入れるかが、むしろレストランにとってのステイタスになるのですから…
いわゆる餅は餅屋ということなのでしょう。
だから日本ではありふれたスタイルであってもエスパスのようにレストラン営業をしながら、こういったクラシックなものが仕込めるということが彼らには新鮮だったのかも知れません。
で、僕は何をしていたか?
…
フランスの追体験をしていました。
その頃エスパスにはN君という、アミューズのカレーマカロンから自家製パン、前菜、デザートまでビシバシ働いて仕込む凄い21歳(だったかな?)の若者がいて、彼が営業の骨格を整えてくれるので、僕達は安心してお喋りができたのでした。
毎月替わりでお出ししていたフランス地方料理のランチでギョーム君の故郷ブルターニュ地方をフォーカスした時には、蕎麦粉のクスクス"キカファルツ"みたいなマイナーフレンチやオリーブオイルで作るポムピュレ、鯖の肝とチョコレートのマカロンなんかを一緒に作りながら、僕の中で萎えてしまっていた熱い何かがイキリ起ち上がるのを感じるのでした。
僕がフランスで働きながら感じた彼の地の食事は素材に塩(時折スパイスやハーブ)と油脂類(オリーブオイルや鴨の脂やバターなど地方によって違いはありましたが)で味付けをして食べるシンプルなスタイル。
素材を組み合わせることで重層的な味を作るのだけれどもその食後感はどこまでもナチュラル…
日本でそれまで作っていたアルコールのたっぷり入った煮込みや、バターでしっかり重さを持たせたソースにはほとんどお目にかかることはありませんでした。
それまで醤油無しには生きてこれなかった少年が初めて食べたフランス料理は滋味を感じる料理でますますその魅力に取り込まれていくのでした。
でも、フランス料理にシンプルな美味しさを感じた僕も日本に戻り自分の店を開けて続けていくうちになんだか解らなくなりつつあったのです。
日本的な美味しさとフランス的な美味しさの違い。
グローバル化しているようで実はガラパゴス化していた(当時の)日本のフランス料理。
帰国してからどんどん薄まっていく僕のフランスでの記憶。
A.B.C(アー.ベー.セー)で考えるところをイ、ロ、ハで考えだした日本のフランス料理人の僕…
不安が故に処理できるはずもない膨大な情報を集めてその上澄みだけを真似てみたり、無知を隠す為に理論で武装しているうちに、完全に忘れていたカラダで感じる“フランス料理“
そんなこんなモロモロがギョーム君と厨房でフランス語を使いながら一緒に料理を作っているとカラダの全てでフランス料理を感じたいと願った20代の頃に戻れたようでとても楽しかったです。
彼の日本での滞在の手助けをするつもりでしたが、経験豊富なギョーム君と働くことで僕の中の枯渇していた大切なものが満たされていって、僕が救われたのは、今思えば必然だったのでしょう。
?
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その夏にオープン予定のシャトーブリアンの2号店のシェフに内定していたギョーム君はワーキングホリデーを利用して来日するついでに『なんかみてこい』と彼のボスに命じられてウチにやって来たのでした。
ボスの支持通りエスパスでは前述のグージェールやパテカンパーニュ、パテアンクルートといった僕らからすれば真にフランス的なお料理のルセットを持って帰ってくれました。
真にフランス的ではあるのですが、考えてみるとパリは別にして、ブルゴーニュ地方以外のレストランで、グージェールを
お出しすることは稀でしょうし、高級店のプレミアムなそれを除きテリーヌ類をメゾンで仕込むこともあまり無いことなのでしょう。
そもそもフランスでは下手くそな自家製パンやテリーヌを仕込まなくても、優れたブーランジェリーやシャルキュトリーがあって、そのどの店から仕入れるかが、むしろレストランにとってのステイタスになるのですから…
いわゆる餅は餅屋ということなのでしょう。
だから日本ではありふれたスタイルであってもエスパスのようにレストラン営業をしながら、こういったクラシックなものが仕込めるということが彼らには新鮮だったのかも知れません。
で、僕は何をしていたか?
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フランスの追体験をしていました。
その頃エスパスにはN君という、アミューズのカレーマカロンから自家製パン、前菜、デザートまでビシバシ働いて仕込む凄い21歳(だったかな?)の若者がいて、彼が営業の骨格を整えてくれるので、僕達は安心してお喋りができたのでした。
毎月替わりでお出ししていたフランス地方料理のランチでギョーム君の故郷ブルターニュ地方をフォーカスした時には、蕎麦粉のクスクス"キカファルツ"みたいなマイナーフレンチやオリーブオイルで作るポムピュレ、鯖の肝とチョコレートのマカロンなんかを一緒に作りながら、僕の中で萎えてしまっていた熱い何かがイキリ起ち上がるのを感じるのでした。
僕がフランスで働きながら感じた彼の地の食事は素材に塩(時折スパイスやハーブ)と油脂類(オリーブオイルや鴨の脂やバターなど地方によって違いはありましたが)で味付けをして食べるシンプルなスタイル。
素材を組み合わせることで重層的な味を作るのだけれどもその食後感はどこまでもナチュラル…
日本でそれまで作っていたアルコールのたっぷり入った煮込みや、バターでしっかり重さを持たせたソースにはほとんどお目にかかることはありませんでした。
それまで醤油無しには生きてこれなかった少年が初めて食べたフランス料理は滋味を感じる料理でますますその魅力に取り込まれていくのでした。
でも、フランス料理にシンプルな美味しさを感じた僕も日本に戻り自分の店を開けて続けていくうちになんだか解らなくなりつつあったのです。
日本的な美味しさとフランス的な美味しさの違い。
グローバル化しているようで実はガラパゴス化していた(当時の)日本のフランス料理。
帰国してからどんどん薄まっていく僕のフランスでの記憶。
A.B.C(アー.ベー.セー)で考えるところをイ、ロ、ハで考えだした日本のフランス料理人の僕…
不安が故に処理できるはずもない膨大な情報を集めてその上澄みだけを真似てみたり、無知を隠す為に理論で武装しているうちに、完全に忘れていたカラダで感じる“フランス料理“
そんなこんなモロモロがギョーム君と厨房でフランス語を使いながら一緒に料理を作っているとカラダの全てでフランス料理を感じたいと願った20代の頃に戻れたようでとても楽しかったです。
彼の日本での滞在の手助けをするつもりでしたが、経験豊富なギョーム君と働くことで僕の中の枯渇していた大切なものが満たされていって、僕が救われたのは、今思えば必然だったのでしょう。
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by anonyme-kobe
| 2014-06-08 17:44